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我国著名口琴音乐艺术家-陈剑晨

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发表于 2013-4-23 15:34:22 | 只看该作者 回帖奖励 |倒序浏览 |阅读模式
我国著名口琴音乐艺术家-陈剑晨
发布日期:2004-11-18 作者:上海口琴   
陈剑晨6岁开始吹洋萧(简易口琴)。14岁开始吹口琴,从20岁起从事演奏、教学活动。是我国口琴事业的拓荒者之一。


当时他从报上看到外国人讥笑我们中国是“无乐之国”,心中很是气愤,决心以口琴为桥梁来普及我国的音乐事业。于1933年创建亚声口琴会,1935年创建上海口琴会,任会长。1938年开办“上海口琴厂”任厂长兼监制人,1946年开办“环球口琴厂”任经理。1949年任上海市第二次各界人民代表会议代表。1950年加人“全国音乐工作者协会”(后改为中国音乐家协会)。任上海市第一、二。三、四、五届文艺界代表大会代表。1951年任上海市各界人民抗美援朝代表大会代表。1954年起任历届卢湾区人大代表,文革后任第五、六届政协委员。1956年作为上海代表团代表,应邀赴北京参加“第一届全国音乐周”。同年,参加“民主建国会上海分会’。11月1日被上海市市长陈毅任命为“上海市体育文教工艺美术工业公司”副经理。


陈剑晨为发展我国口琴音乐,培养口琴人才,呕心沥血。日夜操劳。在上海口琴会内不断开办各种训练班,如初级班、高级班、独奏班等,专门教授口琴吹奏技巧。在三十年代里,每天需开八个班,人数之多,可想而知。为提高吹奏水平和增加乐理知识,又开设了和声乐理班,口琴师资培训班,并组织了口琴队,以培养口琴演奏人才和教学人才。仅在口琴会内,据不完全资料统计培训了约二十万名学员。除了在本会开办上列各种班级外,同时还到各大、中学校,工厂、商店和机关团体去担任口琴辅导工作,其间曾在本市和江浙等地设有分会。并在马来西亚、菲律宾、新加坡设有分会。他们中有的受到口琴音乐的启蒙而转学其他乐种,进行深造,从而成为著名音乐家。


陈剑晨多年来编著了大量有关口琴的书籍,自1933年起至今,正式编辑出版的有《世界口琴名曲集五《口琴独奏、重奏、合奏名曲集》、《中外影视口琴曲集》k流行口琴名曲集》、《口琴吹奏法》、《口琴人门》、《口琴修理法》、《五线谱速成法》、《袖珍口琴吹奏法》、《高级、中级口琴独奏曲集》、《解放口琴名曲集\《中外口琴通俗曲选》、《中外名曲80首》等五十余种书藉。创作有《为钢而战》、《向社会主义前进》、《丰收圆舞曲》、《节日的狂欢》等独奏、合奏曲,并编著数百首活页合奏、重奏、独奏乐曲。


1939年,在国内首创以口琴音乐为电影“红粉飘零”配音。4月,创办了全国唯一的口琴杂志《上海口琴界》月刊,深得中外口琴爱好者欢迎,其间停刊后于1983年经市委宣传部批准复刊并改为季刊由邮局、中国国际图书贸易总公司向国内外公开发行,但终因经费欠缺,不得已于1986年再度暂停出刊。上海口琴会在会长陈剑晨的领导下,自创建迄今65年来,不断进行各种演出,除专场音乐会外,还到苏、杭、锡等地巡回演出。解放后的工厂和学校,纷纷成立了工会和学生会,在成立大会上邀请上海口琴会演出,备受听众欢迎,平均每月要去各处演出十余场,有时一天内要赶三、四个场子。还到电台录音广播,电视台录像,为唱片公司灌制唱片,应邀参加“上海之春”,和上海人民广播电台主办的第72期《星期广播音乐会》演出等共计3O00余场次,单独举行口琴独奏锦标赛四次,评委都是著名音乐家。决赛后举行音乐会,全部票房收人,捐献给慈善机构和救济失业工人,(1941年8月在大舞台演出,入场券最高每张卖10元,捐赠“申报馆”做助学金,以及“益友社医院”,‘哗联同乐会诊所”和“普善山庄”,‘’同仁辅元堂”做善举。第二次1942年在“益友社”,第三次在新都饭店‘万象厅”时间是1944年,第四次比赛在1950年6月,假座“兰心大戏院”,决赛后音乐会票款全部捐作救济失业工人)。1951年为抗美援朝“捐献飞机大炮”在兰心大戏院、大众剧场举行三次义演。并参加各种宣传和庆祝活动的演出,为工人、解放军指战员进行慰问演出等。


1942年4月,陈剑晨为捍卫民族自尊,坚决不向日本宪兵队登记,在没有得到他们审查批准的情况下,假座于“天宫剧场”举行音乐会。演出到第二个节目时,日本宪兵冲进剧场,勒令停演。将陈剑晨押到“特高科”,人还没站稳,就被日本宪兵挥拳痛打。


为推动口琴的发展和交流,陈剑晨于八十年代和上海音协、群艺馆、市教育局等联合举办或协办全市、全国口琴独奏比赛。其中1985年和上海人民广播电台、电视台、市少年宫、《儿童歌声》编辑部、上海口琴总厂等单位联合举办的全市少年儿童口琴比赛,参赛人数达 1000人左右,是我国历史上参加口琴比赛人数最多的一次,在我国口琴史上写下了光辉的一页。并派员辅导市教育局主办的中、小学校音乐老师口琴师资培训班等。他同时致力于国际口琴活动的交往,接待了地区间、国际间的口琴个人、团体来访、交流。有香港梁日昭,陈国勋,韵声口琴会,乐友口琴协会,台湾刘金山,台北黄石口琴乐团,美籍华裔徐德明、黄青白、日本小报井雅敏,新加坡孙仁光、周进识、何中荣,新加坡国立大学,业青口琴研究团……


1984年全日本口琴联盟组成60余人的代表团前来上海交流经验和访问演出。上海口琴会和他们一起同台演出了口琴大合奏《在希望的田野上》、《旧友进行曲》、《樱花》等。由陈剑晨和日本斋藤寿孝分别担任指挥。这场演出成为当年最受欢迎的专场音乐会。日本代表团回国后,专门为这场访问演出举行总结大会,并编辑出版了特刊,以志纪念。1985年陈剑晨以75岁高龄访问了香港口辇界,受到盛大的欢迎和招待。他在港期间,先后接受了香港无线电视台、亚洲电视台和绿村电台采访并作演出,还接受新闻记者的采访。香港《文汇报》和《新晚报》都刊登了长篇采访文章。应邀参观了各口琴团体的排练,观摩了青年会口琴乐团的演出,还为香港的口琴、口风琴比赛发奖,并作了示范演出。


陈剑晨为了提高口琴吹奏艺术,勇于探索、革新。早在三十年代,曾有不少人包括有些音乐家认为口琴不能转调,而且对于乐曲中的高低半音,也很难吹奏;口琴只能吹吹民歌小调。陈剑晨为了解决这个难题,在口琴演奏中采用固定调的演奏方法,即不论什么调子的乐曲,一律用C调和升C(#C)调两只口琴来吹奏原调,由于许多乐曲的升降半音多,所以吹奏的难度极高,特另对于吹奏快速的乐曲,难度就更大。但他下定决心,在严格的训练下,口琴队的吹奏水平提高很快,终于冲破了半音多的难关。1940年4月假座原“卡尔登大戏院”,举行音乐会。全部大合奏乐曲都用这个方法来演奏,使口琴吹奏水平来了一个飞跃。同时他本人在独奏时,用九种不同调的口琴,演奏了著名作曲家奥芬巴哈的《天堂与地狱》序曲。口琴爱好者、闻讯前往的观众,挤在门口争买票子,黑市票价竞卖到4元一张(这是当年梅兰芳演出的票价)。以致剧场不得不拉上铁门,此事曾轰动了整个上海口琴界,在音乐界也引起了不小的反响。


陈剑晨为了使口琴演出形式更丰富多彩,早在解放前就首创女声独唱用口琴队伴奏,1953年采用板胡协奏形式演出《胜利鼓》、《陕北组曲》,丰富了演出的音色和音量,又以口琴独奏小乐队伴奏;大合奏中加人各种西洋乐器和民族乐器的配合。在我国口琴界,陈剑晨素以不断创新而著称。60年代又首创口琴、吉他、大提琴组成口琴弦乐四重奏,口琴、手风琴、吉他三重奏等。在文革后的1980年上海口琴会刚恢复活动不久,就在上海音乐厅举行的纪念该会成立45周年音乐会上又采用这些形式,取得了极好的艺术效果,受到全场听众最热烈的欢迎。中央人民广播电台和上海人民广播电台,多次将实况录音报导了这场演出和陈剑晨的创新精神。当年他口琴独奏由小乐队伴奏的乐曲“乡间小路”,被上海人民广播电台录播后,响彻了浦江两岸的大街小巷。1981年底日本国举办国际口琴录音带比赛时,陈剑晨用板胡协奏形式的口琴大合奏《胜利鼓》参赛,在主办单位的录音广播中得知受到全体评委高度赞赏,荣获合奏比赛第二名,这是我国口琴在当时国际比赛中获得的最高荣誉。中央人民广播电台曾以刘小口琴为国争光”为题,作了专题报导。文化部社会文化管理局和中国音乐家协会联合向上海口琴会陈剑晨颁发了荣誉奖状。


在陈剑展带领下的上海口琴会,从艰难困苦崎岖不平的道路上走到今天的发展壮大,整整走了六十五年。现今上海口琴会不仅在国内影响深远,在国外尤以东南亚地区及日本,也有很高的知名度。


六十五年来,陈剑晨为发展口琴音乐,培养口琴人才,倾注了毕生精力,结出了丰硕的果实。


陈剑晨是一个勇于探索,不断创新的口琴音乐先驱者,他为中国的口琴事业,建立了不可磨灭的功勋!他为中国口琴乐坛写下了光辉的一页!
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 楼主| 发表于 2013-4-23 15:35:27 | 只看该作者
音楽教育の普及研究
ハーモニカ音楽教育を中心
氏名:張 惟一
             
1、研究目的
 教育最終の目的は学生の発展することを促進することである。子供たちの将来のため、我々は対象に応じて異なった。教育方法を実施し、子供たちの能力と性格と志向などを対応し、適切な教育を行う必要がある。
私は日本に来る前に、中国の私立幼稚園で音楽の先生をしていた。中国の幼稚園では楽器をあまり使わなかった。幼稚園の子供が三歳から五歳まで、子供たちの手がソプラノリコーダーも使わないのである。音楽教育は歌を歌うだけではないので、楽器を習うことも必要だ。子供たちがハーモニカの勉強を通じて音楽を理解し、音楽を感じ、好きになるにはどのような教育が良いか考えていた。
 現在の音楽教育用楽器は弦楽器、金管楽器、鍵盤楽器などである。しかし、低所得世帯では授業料と楽器と支払えない。もし、ハーモニカは音楽教育になったら、多くの事が変わると思う。音楽教育の普及については考えなければならないことがある。楽器の値段と授業料が安さ、楽器の扱い易さと勉強のし易いである。低所得世帯の子供たちが音楽教育をすべて勉強し、普及させる。子供たちは音楽を学べば学ぶほど面白と感じ、音楽で愛するようになる。そのため、コストを引き下げて音楽教育の普及について研究していきたいと考えた。
2、先行研究
2・1日中音楽教育の歴史
ウィキペディアフリー百科事典と記載されている。ハーモニカがかつて「1970年代頃まで」日本の小中学校教育用楽器としても用いられた。しかし、始まる時には教育者もハーモニカの教育をうけたわけではないため指導が困難であったので、教育用楽器としては、ピアニカに取って代わられている。
現在、日本の小学校の音楽専門教育は中国より先進している。
中国でピアニカがないので、音楽教育用楽器はどんな楽器を使ったほうかいい。最後、音楽教育用楽器はハーモニカに使用し、先進国の音楽教育の距離を縮小なるために、教育者たちの十年の音楽教育の普及は努力により音楽教育の普及は30%増えた。しかし、現在の教材は全て40年前の教科書である。おおくの曲に子供たちは興味を持ってはいない。ハーモニカは40年前の状態に戻った。
2・2音楽教育の現状
昔の受験教育から素質教育となる同時に、様々な国の家長は子供たち将来のため、素質教育を重視された。芸術教育は素質教育の中に大切な物である。しかし、人々は優雅な芸術を追求することにつれて、授業料が高くて、低所得世帯に対して多くの負担になる。この問題は家長と社会を重視されている。
一方、今までの高くなる授業料は低所得世帯を引き受けなければならない。
特に、低所得世帯の音楽が好きの子供たちは音楽を諦めなくて、高所得世帯の子供たちは同じレベルの音楽教育を受けられる。
2・3音楽教育の楽器
一つ考えなければならないことがある。芸術教育の最終の目的は学生の全面的な発展するため、我々の最もよいやり方は教育料が引き下げる。しかし、音楽教育用楽器は色々があるので、子供から老年者までも使う楽器はどんな適切な楽器を選んだほうがいいであるか。
先ず、音楽教育用楽器はどんな楽器を選んだほうがいいであるか。
① 不便と便利
ピアノとアコーディオンなど、楽器の値段と授業料の高さ、学生は先天的な音楽の条件が大切だ。
音楽教育用楽器のピアノと言えば、低所得世帯の子供たちは勉強することがあまりできないと思う。日本のピアニカはピアノが代わって、ピアニカで曲を練習しているが、子供はピアノが好きだと言ったら、家長がどうすればよいだろう。
ハーモニカなら、以上の不便なことがないと思う。ハーモニカの値段が安さ、勉強も易い、携帯便利いろいろな長所がある。
どんなに低所得者でも買うことをできる。毎日の練習時間は一時間練習をすれば、十分である。ハーモニカとどんな楽器でも、合奏できる。子供から老年者と体不自由な方まで、誰でも簡単に演奏することができる。
② 普及の方
教育すれば、中国でピアノとチェロなどの楽器は勉強できない方60%以上である。この方は色々家庭状況の原因があるので、子供の音楽知識は初心者レベルである。ハーモニカは音楽教育用楽器になったら、幼稚園と小学校と中学校の音楽教育は最も簡単になると思う。
3問題点
これまでの先行研究を見ると、音楽教育の普及にについて研究は少なく、特に、子供の音楽教育用楽器を使うことが統一してなかった。ハーモニカできる専門的な先生が少なく、現代子供専用なハーモニカ教材も少なく、教育者はどんな方法で子供たちが遊ぶながら、音楽を勉強している。これは今後の研究課題として考察していきたい。 
4研究方法
1、始まる時には教育者もハーモニカの教育をうけたわけではないため指導困難であったので、先に小学校の音楽教育者を受けるため、一人分かれば、十人を教える事で、続けていく。
2、幼稚園と小学校と中学校の学生に対して教育することを研究する。
先ず、自分自身の音楽教育経験を積み重ねて、ハーモニカの普及とハーモニカの教育方法に応じて、学生が簡単な音楽を勉強される。
次は、創造性の方法で学生は楽器としてハーモニカの関心を引く。例えば、今の学生は何が好きであるか。先に聞き、後で、できるだけ、ハーモニカで学生たちが好きなものをやり、それはいいと思う。私は子供時には汽車の物が大好きであった、父さんはハーモニカで汽車の音を真似して、それで、私はハーモニカが好きになっている。
最後、学生たちの音楽カードを作っている。
学生たちと一緒に勉強し、二三回ぐらい後は学生たちの音楽能力が分かったので、学生の能力を分析し、音楽能力のカードを作る。学生の音楽能力によるAとBとCカードを分けると思う。
Aはハーモニカで音楽を独学できる。クラスメートは音楽を勉強することが困る時、リーダーとして、援助することをできる方はAカードになる。
Bはハーモニカで演奏し、チームの活動をできる方はBカードになる。
Cはハーモニカで演奏する事は困難方であるので、Cカードになる。「C方は曲を簡単に演奏することができる前必ず教育者とAの方を援助することが必要である。」
5研究の見通し
人々音楽を愛し、人々音楽を分かり、人々音楽を使う。今の条件に基づいて中国でも、日本でも、両国は教育料金のコストを下げる同時に、効率があがる教育方法で使ったほうがいい。先進国の音楽教育の距離を縮小するために、将来の中国に音楽教育の普及は小学校からではなく、幼稚園からであるだと思う。
わたしの考えるのは一人分かれば、十人を教えて、このまま続く、二三年後は小学校から中学校まで、誰でも、ハーモニカ演奏できることが望ましい。
6参考文献
山下 浩(2011)『はじめての音楽療法ハンド・ブック』ドレミ楽譜出版社
山下 浩(2012)『表現のための優しいピアノ即興演奏』ドレミ楽譜出版社
瀧本 孝雄(2011)『カウンセリングへの招待』サイエンス社
『ウィキペディアフリー百科事典“ja.wikipedia.org/wiki/ハーモニカ”』
『本の虫“http://cpplover.blogspot.jp/2012/05/60.html”』
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 楼主| 发表于 2013-4-23 15:39:03 | 只看该作者
上海国际乐器展上的口琴
这次,几乎全世界的口琴商都来到了上海!可以讲,你在这里看到的就是世界的口琴!我们CHINAHARP的许多会员也参加了这次会展。因为图片太多只能提供以下部分图片。





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 楼主| 发表于 2013-4-23 15:40:12 | 只看该作者
上海口琴会专场音乐会
发布日期:2013-1-5
2013年2月3日 10:30
星期广播音乐会——小身体 大能量
刷新你记忆中的口琴音乐
票价:¥50/40/30


演出:上海口琴会
演出嘉宾:台北黄石口琴乐团


简介:

悠扬的口琴声,总能勾起我们童年的奇幻梦想、少年的青葱记忆和成年后远行的乡愁。双唇轻划过排列齐整的塑格蜂房,在一呼一吸间,啜饮出欢喜,编织出瑰丽的音乐世界。

如今的口琴,已发展成为一种具有丰富表现力的音乐会乐器,演奏风格横跨古典、流行、民族和爵士。小身体里蕴藏着无限的大能量。

上海是中国口琴音乐的重镇,“上海口琴会”已有近80年历史。此次,他们将以合奏、重奏等形式带来陕北民歌、施特劳斯的波尔卡舞曲、威尔第的歌剧选段、ABBA的流行名曲及美国乡村音乐。来自台湾的“台北黄石口琴乐团”曾三次获得德国世界口琴大賽冠軍,他们则会带来舞台魔术表演与口琴音乐合二为一的创意新玩法。

快来更新一下你记忆中的口琴吧!


曲目:

一、口琴乐队合奏

指挥:陈宜男
1.春节序曲 李焕之 作曲/陈剑晨 编曲
2.陕北组曲 马可 作曲/陈剑晨 编曲


二、布鲁斯口琴
布鲁斯口琴独奏:王锴 吉他伴奏:王心海
蓝色海洋


三、上海口琴会龙之星重奏组
王天石 杜逸 孙清源 华蕾 汤怡 钢琴伴奏:鲍静
口琴二重奏
1. 妈妈咪呀 ABBA乐团 作曲/孙清源 编曲
口琴三重奏:
1. 喋喋不休波尔卡 J.施特劳斯 作曲/卢鸿麟 编曲
2. 骊歌 孙清源 编曲
口琴四重奏
1. 故乡的路 美国乡村音乐/孙清源 编曲
2. 秃鹰飞去 罗布莱斯 作曲/孙清源 编曲


四、台湾黄石口琴乐团:口琴与魔术
1.击酒杯的人 赫尔南德斯 作曲/卢鸿麟 编曲
2. 那些年 木村充利 作曲/卢鸿麟 编曲
3.带我去月球 霍华德 作曲/卢鸿麟 编曲
4.莫斯科郊外的晚上 + 查尔达斯爵士版(吉普赛摇摆)谢多伊 /蒙蒂/卢鸿麟 编曲


五、口琴乐队合奏
指挥:黄关从
1. 旧友进行曲 泰克 作曲/陈剑晨 编曲
2. 桂河桥进行曲 奥尔福特 作曲/陈剑晨 编曲
3. 歌剧《茶花女》选曲 威尔第 作曲/陈剑晨 编曲
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 楼主| 发表于 2013-4-23 15:41:09 | 只看该作者
上海口琴会2011贺绿汀音乐厅演出照片
发布日期:2012-1-9












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